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ハワイの歴史カルチャー

ハワイアンの誕生

1959年にアメリカ50番目の州となったハワイですが、その歴史は数世紀前までさかのぼります。
約1,500年前に、マルケサス諸島出身のポリネシア人がビッグ・アイランド(現在のハワイ島)へ最初に上陸したと考えられています。
星明りを頼りにカヌーで3,200km以上も航海を続け、ハワイ諸島にやってきたのです上陸しました。この時やってきたのは非常に小柄であったとされ、伝説の小人族・メネフネではないかともいわれています。
その後、再びタヒチからポリネシア人が大量に移住し、ポリネシア古俗石器文明が約200年前まで続いたとされています。文字を持たない文化のため、伝説の中から推測することしか出来ませんが、ポリネシア全域の文化や習慣との共通点が多かったようです。

クック船長を襲った悲劇

1779年になると、ハワイ島のアラケクア湾にイギリスの探検家であるジェームズ・クックが船を2隻引き連れて到着しました。前年にハワイ諸島を発見したサンドイッチ伯爵の名前にちなんで「サンドイッチ諸島」と名付けていましたが、島民との間に対立が生じてしまい、キャプテン・クックは上陸からわずか1年で船員と共に惨殺されてしまいました。
現在、海洋保護区に記念碑が建てられています。

カメハメハ大王の登場

1810年になるとカメハメハ大王が白人のアドバイスによって全島を統一し、ハワイ王朝が始まりました。カメハメハ大王は、生活習慣や宗教に関しては保守的で伝統を重視し、ハワイに伝わる伝説の神々を崇拝していました。
そして、禁忌を犯した者には容赦なく罰を与えながら、国を統制していきました。気難しく、孤独な人物であったとされるカメハメハ大王は、首都をいくつか移しつつも、統一からわずか9年で永眠しました。その後カメハメハ5世まで続きますが、5世生涯独身であったため、カメハメハ王朝は終焉を迎えています。

ルナリロ国王、カラカウア王

カメハメハ5世の後継者には、選挙により王族であるルナリロ王が選ばれますが、即位1年後には肺結核で死亡し、カラカウア王が選出され専制政治が始まります。威厳を持ちながら陽気な性格から、メリーモナーク(陽気な君主)と呼ばれ、人々からの信頼と人気を集めました。即位の翌年である1875年にはアメリカとの間に通称互恵条約を結び、砂糖を輸出することでアメリカとの結びつきを強くしました。
王は日本とも交流があり、明治天皇と会見し農業労働者としてさとうきびプランテーションへの移民を働きかけました。カラカウア王が与えた影響は大きく、ハワイ日本人移民の父ともされています。
また、カラカウア王はカメハメハ2世の頃に禁じられたフラダンスやハワイアンミュージック、サーフィン等を再び振興させ、民族としての誇りを取り戻すことに尽力しました。
その後アメリカによって占有地を認めさせられたり、王権を制限するような新憲法への調印を余儀なくされたりしたことにより、白人支配を危惧した王は日本をはじめとする環太平洋の国に連盟を呼びかけますが、結局は実現することなく療養していたサンフランシスコで即位17年の生涯を閉じました。

カラカウア王の妹、リリウオカラニ王女

ハワイ王朝唯一の女王であるリリウオカラニ女王は即位すると「ハワイ人のためのハワイ」をキーワードに、ハワイ原住民の権利を取り戻そうと新しい憲法を発布する準備をしました。
しかし、この時点でハワイの3分の2が外国人に支配され、新憲法の情報を事前に掴んだ白人グループによりイオラニ宮殿をはじめとする、政府にとって重要な建物が占拠されてしまい、女王を筆頭に多くの側近が幽閉されました。1893年になるとサンフォード・B・ドールを総裁として新政府ハワイ共和国が誕生し、ハワイ王朝は終焉を迎えてしまいましたが、今でも王族の名前は通りの名前として親しまれています。

激減するハワイアン

ドールを大統領とするハワイ共和国はワイキキ観光開発を急激に進め、アラワイ運河掘削で出た土で埋め立てた造成地は500エーカーにもなり、地価を30倍に跳ね上げました。
工事を請け負った白人資産家は莫大な資金を手に入れる一方でハワイアンの主食となるタロ芋や農耕の技術、そして海や水を奪われた農民や漁民の多くは悲惨な生活を強いられます。加えて外来の病気による大量死、移民による混血が進み純粋なハワイアンは減り、文化のみならずハワイ語も公用語である英語に侵食され、無くなっていったのです。

アメリカ50番目の州

ハワイ共和国はアメリカと併合することを望みましたが、ハワイが多民族国家であるために承認が難しくなり、白人議会の共和国を結成する形に収まり。しかしいざアメリカとスペインが戦争となるとハワイはアメリカにとって重要な中継地とされ、議会の決定によりアメリカの領土になり、50番目の州として受け入れられることになりました。

実現しなかったロイヤルウェディング

1914年のホノルル市ヌアヌ青年会において衝撃的な秘話が明かされました。
カラカウア王が日本を訪問した際、将来を見据えて日本の皇族とハワイ王朝のカイウラニ王女とでロイヤルウェディングの計画が持ち挙がったというのです。しかし日本皇族は日本人純血の血を守るため、またアメリカとの関係を保つために実現されなかったといいます。

太平洋戦争

1941年12月7日早朝、日本軍は真珠湾を奇襲し太平洋戦争が始まりました。
ハワイで生活の基板を作っていた日系人は敵方国民だとののしられ、収容所に入れられる人も出ました。ハワイ生まれの日系人達はハワイの日本人社会のために従軍し、命がけで戦跡を残し、多くの若者を失いながら社会進出を果たしました。
彼らは未だに日系人の英雄としてたたえられています。

ピクチャープライズ

明治元年から日本人移民が始まりましたが、1900年には職のない日本人が公園や路上を占拠していたため、移民の渡航が禁止されました。
そうしたことから在留日本人労働者の近親者と写真結婚者のみが呼び寄せられ、互いに写真を取り交わし、ウェディングの話がまとまれば日本で籍を入れ3ヵ月後にハワイに呼び寄せる「写真花嫁」が大勢海を渡りました。これにより悪質な斡旋や写真の修整、履歴の偽りなど多くの悲劇が生まれることにもなり、日系人達の苦労は更に続きました。

このようにハワイは多くの歴史を刻んできましたが、今日のハワイは「アロハ・ステート」として多くの人にアロハ・スピリットを伝えており、今では口コミでも大人気のウェディングスポットとして世界中の人を幸せにしています。
ハワイの歴史を知ってウェディング滞在をより豊かなものにしましょう。


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